呉と三原の中間に位置する広島県豊田郡安芸津(あきつ)町。瀬戸内海に面した人口13000人ほどの町は二人のスポーツマン、ゴルフの岡本綾子と大相撲の安芸ノ島の出身地として知られている。酒造りが盛んな、静かな田舎町だ。「安芸津」というのはトンボのことではなく、安芸の国 (広島) の良い津 (港) という意味だろう。昭和51年、この町の山中に何とも不思議な石組のトンネルが発見された。

 図を見ていただければ判るが、深さ2.8メートルの井戸のような縦穴と、長さ18メートルの横穴を連結したL字型のトンネルなのである。幅はちょうど人間が通り抜けられるくらい。縦穴の方には足場のような石が出ている。とすれば、形は水路のようだが、これは人が通るための穴ではないだろうか。

 このトンネルの築造年代については様々な説があるが、6〜7世紀のあたりらしい。このトンネルから、さらに100メートルほど上った山中には「拝み岩」と呼ばれる巨石記念物があり、やはり同年代のものと見られている。岩の上に円形と菱型の二つの石を乗せてあるのだが、中国の道教にある天と地のシンボルと見られる。

 「トンカラリン」という名前は、熊本県玉名郡菊水町で昭和49年に発見された同名の穴に因んだものだ。菊水町のトンカラリンは全長460メートルに及ぶ長大な遺跡で、三カ所の露出溝部分を除けば計280メートルに亘る石組および自然穴を利用した石のトンネルである。穴に石ころが落ちたとき、トンカラリンと音がしたことから名前が付けられた。※ これも大規模なものにもかかわらず、記録も民間伝承も一切残っていない。

 道教の教えでは四方を守護する四神のうち、西の白虎と東の竜神を陰陽神として信仰し、二神の交合を幸運の象徴としていた。竜虎が合体すると、不老不死の仙薬「金丹」が生成されることになっている。つまりトンカラリンの縦穴は水神 (竜) の棲家の井戸であり、白虎の住む横穴と連結させた、二神合体のシンボルと見るのが有力な説だ。このトンネルを通り抜けることによって、古代の人々は無病息災や厄落しの祈願をした のだろうか。

 京都の上賀茂神社をはじめ各地の神社では、六月晦 日の六月祓(みなつきばらえ)、夏越祓(なごしのはらえ)の時に『茅(ち)の輪くぐり』という行事が行なわれている。茅もしくは菅で作った大きな輪の中を人々がくぐり抜けると、病気や災厄を逃れるという伝承に基づく風習だ。この輪は水神であるヘビをかたどったものだが、トンカラリンはこの『茅の輪くぐり』の原形ではないかと思われる。

 「トンカラリン」の場所は安芸津町三津信曽地区字平桁というところで、行友静さん所有のミカン畑の中。小型車でも離合の難しい山道を登っていく。軽の四WDが理想だが、同じような地形が多いので、訪れる場合は地元の人に道を尋ねるのが賢明。車なら駅から10分ほどで着く。周辺には見捨てられて雑草がおい繁る千枚田というか段々畑の跡が多数見うけられた。それほど古いものとは思えないが、雑草の繁殖で注意しなければそれと気づかないほどに荒れている。いずれも「猫の額」という表現がぴったりする狭さだ。こんな山中をなぜ開墾する必要があったのか。ここの住人たちは、もっと楽な生き方ができなかったのだろうか。

 熊本のトンカラリンも、「近世排水路説」「古代信仰遺跡説」「朝鮮的信仰遺跡説」などの諸説があり、用途は不明。韓国の研究所からは、朝鮮半島の信仰遺跡との類似性が指摘されている。“タンタン落とし”と呼ばれる入口から始まる第一の洞穴は全面切石で築かれ、大きさは大人が腰をかがめてやっと歩けるほど。空堀を経てつながる第2のトンネルは7段の石段があり、這わなければ通れない天井の低いトンネルが37メートル続く。この上部に左右にくねる高さ2〜7メートルのトンネルがあり、その次に一一の切石を積んだ壁にぶつかる。壁の下から第五のトンネルが始まり、丘上に鎮座する鶯原神社の社前に出て、一連のトンネルは終わる。こちらは熊本県玉名郡菊水町瀬川字北原(きたばる)・長力(ちょうりき)という場所にある。

 トンカラリンの儀式は神社の「お百度詣り」のようなものだろうか。では終点にあたる神社は、その昔、どんな形をしていたのか。

※中国北方民族の古代語で、「トンカラ (トンカリ)」は「天」または「拝天者」、「リン」は「君主」を表わし、「トンカラリン」は高句麗の伝説の始祖「天帝」をさす、という説もある。


『石の博物誌』創風社出版 より